クレフに別れを告げた次の日の早朝、光と風の元へ向かった。
一晩中泣き続けて泣き腫らした瞳は、もうどんなに顔を洗っても冷やしてみても隠しようがなかった。
『ごめん、二人とも。予定より早いんだけど、今日東京に戻ってもいいかな』
いつもと違う私の様子を心配した二人は、すぐに了承してくれた。
私はセフィーロから、クレフから逃げ出した。
東京に戻ってから、私は光と風にクレフと別れた事を話した。
『いつも忙しくて逢えないし、付き合ってる意味ないじゃない?』
そう言って笑おうとした私の瞳からは、また涙が零れていた。
そんな私を見て、二人はずっと傍で慰めてくれた。
きっと別れた理由が嘘だとはばれていただろうけど、その事すら何も言わずにいてくれた。
それから一週間後、私は重い心を抱えたまま東京タワーに向かった。
用事の無い土曜日はいつもセフィーロに行く。
それはもう何年も確認する必要もない三人の約束だった。
展望台に着くと、いつもぎりぎりに来る光が今日は早々と着いていて、
いつも早い風と一緒に私を待っていた。
『ごめんね!遅くなって。今日は光は早いのね』
そう言っていつものように二人と手を繋ごうとする。
いつもの様に二人は手を出さず、こちらを心配げに見つめていた。
『海さん、よろしいのですか?』
『海ちゃん、無理してセフィーロに行かなくてもいいよ?』
二人が同時に口を開く。
確かに、本当は行きたくはなかった。
でも、あの異世界への扉は三人一緒でなければ開かない。
二人が恋人と過ごせる時間を楽しみにしているのに、その時間を自分の都合で奪う事は出来ない。
前回だって自分のせいでその時間を奪ってしまったのに、また今回もなんて、
この親友二人にそんな迷惑をかけてしまうのはとても心苦しかったから…。
『いいのよ。さ、行きましょう?』
無理して作った笑顔を向ける。
その笑顔が引き攣っているのが自分でも判る。
二人は顔を見合わせ複雑な表情を見せたが、私が急かすので結局そのままセフィーロへ向かった。
クレフは相変わらず仕事が忙しいらしく顔を覗かせる事もなかったから
お茶会にも一応出席はしたが、皆の会話にも入らずずっとぼんやりとしていた。
そんな私の様子を心配したのか、お茶会が終わって片づけをしている最中に
カルディナとラファーガに声をかけられた。
そういえば、この間は頼んで会議を覗かせて貰ったのに、ろくにお礼も言わず帰ってしまった。
『この間はごめんなさい。急に具合悪くなっちゃって…』
『もう大丈夫なんか?なんや今日もえらい調子悪そうやけど』
隣のラファーガも頷いて私の答えを待っていた。
『うん、もう平気。大丈夫よ。ありがとう』
そう言った私の答えに納得いかないような顔をしたけど、
二人ともそれ以上は何も追求しなかった。
皆に心配かけているのが判る。
皆が気を遣ってくれているのが判る。
でも皆の優しさが今は、苦しかった。
……一人に、なりたい……
いつのまにかふらふらと城を出て、一人歩いていた。
しばらく目的もなく歩いていると森が見えてきた。
その森は…見覚えがあった。
最初に招喚された時に着いた、精霊の森。
セフィーロが崩壊しそうになった時には失われていたが、また今こうやって以前の様に豊かな森となっている。
あの時と本当に同じ所なのかというと、それはよくわからないが少し中に入れば、
最初に見た時と変わらない景色に見える。
精霊の森は彼と初めて逢った場所。
何も解らずセフィーロに招喚されて、
『早く東京に帰してよ!』って彼に詰め寄ったっけ…。
すべては、ここから始まったんだ。
あの時は、彼をこんなに好きになるなんて思わなかった。
小さくて、生意気で、偉そうで、若造りな魔法使い。…そう、思っていたのに。
結局、思い出すのは彼の事ばかり。
考えるのは彼の事ばかり。
ここから始まったあの辛い戦いを思い出すより、彼の事を一番に思い出す。
また、涙が零れだす。
もう泣きたくない
涙を堪える為に上を見上げた。
セフィーロの空はこんなに澄み渡って光が溢れているのに、
私の心にはしとしと雨が降り続いていた。
見上げた空は、どれだけ必死に手を伸ばしても決して届くことはない。
まるで、真っ直ぐで一生懸命に自分を貫く彼のよう…
そう思うとまた、涙が堪えきれず溢れてきた。
何を見ても、何を考えても、結局行き着くのは彼のところだった。
城に戻って時間を確認すると、帰る時間にはまだ早かったから、
一目だけ…そう思ってクレフの部屋へ近づいた。
もし彼が少しくらい落ち込んでたり、仕事が手につかなくなってたりしてたら…
やっぱりもう一度、話をしよう……
しかし扉の向こうから聞こえてきたのはクレフの冷静な声。
珍しく少しだけ開いたままの扉の隙間から見えたのは、プレセアだった。
プレセアは心配そうな声で、クレフと話をしている様だった。
その彼を見つめる心配気な瞳が物語っていた。
彼を、好きなんだと。
ああ……プレセアがいるのだ、彼には。
あんなにも近くで、あんなにも彼を支えることが出来る人。
綺麗で、明るくて、優しくて、いつも彼の傍で彼の手助けが出来る人。
『私じゃ、なかったんだ。クレフを「支えてくれる存在」は』
そう口に出したら、眩暈がした。
目の前が真っ暗になった
倒れそうになるのを必死に堪えて、私はその場からそっと逃げ出した。
そして彼から逃げる様に東京に帰った。
少しでも、彼の遠くに。少しでも、彼を思い出す景色が少ないところに。
でも毎週、約束の日はやってくる。
クレフと顔を合わす事は無かったが、皆と過ごしていても
何だか自分だけがこの世界に居場所がない様に思えて仕方が無かった。
光も風もいるのに、一人に思えた。今までそんな風に思った事は一度も無かったのに…
だからいつも一人で城の外へ出た。
光や風が心配して、一緒に行くと言ってくれるけど断った。
そして、いつも行くのはあの精霊の森。
森へ行っても特に何をするのでもなくただぼんやりと空を眺めて時間が過ぎるのを待つだけで
夕方になると城へ戻り、三人で東京に帰る。
そんな風にセフィーロで過ごすのにも段々と慣れてきた頃、
『今日は、三人でここでお茶致しませんか?』
風がにっこりと笑顔で提案し、光がそれに頷く。
いつもの土曜日。いつもの東京タワー。
でも、そこから行く先がセフィーロじゃなくて東京タワー近くのカフェになっていた。
カフェに入り、混んでいる中から何とか空いてる席を確保した。
『ねぇ、本当にセフィーロに行かなくていいの?
光も風も、ランティスとフェリオが待ってるんじゃない?』
『大丈夫ですわ。フェリオにはちゃんと今週は来れないと言っておきましたから』
風が言う言葉に、光も頷く。
『海さん、よろしければ私たちにお話してくださいませんか?
お二人の事だからと、今まで口を出さずにいましたが…
海さんが一人で悩んでいるのをただ見ているだけなんて、もう嫌なんです。
話せる事だけで構いません、お願いします』
風が真剣な顔で言う。
『海ちゃん。お願い…私じゃ頼りないかもしれないけど、出来ることは何でもするから!』
光が泣きそうな顔で言う。
『光、風、ありがとう…』
二人の優しさが純粋に嬉しかった。
この二人が親友で、本当に良かった。
そして私は、二人に話した。
会議で話すクレフを見た時に思った事。
タトラに言われた事。
クレフに言った事。
プレセアの事。
話終えると、光と風は二人顔を見合わせて同時に席を立った。
『海さん、セフィーロへまいりましょう』
『行こう、海ちゃん!』
差し出された二人の手に引っ張られるように、東京タワーの展望台へ。
『ち…ちょっと待って!今日は行かないんじゃ…』
『海さん、クレフさんはずっと元気がないそうです』
『皆と全然話す事もなくて、部屋から出てこないって…』
光も風も私の手を離さず、言う。
クレフが…元気がない。。。
『でも、プレセアは?クレフには、プレセアがついているのに…』
『クレフさんは今は誰とも話をしようとしないそうです。
それに、プレセアさんがどうとかいう話ではなくて、
海さんはクレフさんの事をどう思ってらっしゃるんですか?』
『…好きよ。でも、私はクレフの負担にしかならないの。そんなのは…嫌だわ』
『そんな事、クレフさんに言われた訳ではないのでしょう。
海さんが一人で考えていたって駄目です。クレフさんに聞いてからでも結論を出すのは遅くはないと思いますわ』
東京タワーの展望台へ着く。ここでセフィーロを想えばあの異世界へ行くことが出来る。
セフィーロへ、クレフのいる世界へ。
『でも、もう別れようって私が言っちゃったの…』
『もっと、きちんと話合うべきです。このままで海さんが納得出来るとは思えません。
それは、きっとクレフさんも同じだと思います。
クレフさんがいい加減な方でない事は、海さんが一番よくご存知でしょう?』
『そうだよ。クレフとちゃんと話をしなきゃ』
『…でも怖い、怖いの』
そう言った時に、セフィーロへの扉が開く。
眩しい光に包まれて、目を開けていられなくなる。
目を開けると、そこはもうセフィーロだった。
光と風が私を見ている。
『ほらやっぱり、海ちゃんもクレフに逢いたいんでしょう?』
笑顔で光がこちらを見る。
逢いたい。逢いたいけど、でも…怖い。
逢って、何を言えばいいのかわからない。
『ごめん!私やっぱりまだ……』
そう言って私はまた逃げ出した。
『海ちゃん!』
『海さん!』
二人が呼ぶ声が聞こえたけど、振り返ることも出来なかった。
そしてやっぱり行き着いた場所は、精霊の森だった。



