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扉をノックする音が聞こえた。  
 
『導師。おはようございます…!?』  
いつもと同じ様にプレセアが部屋に入ってきた。  
正確には、部屋に入る手前までがいつもと同じだったのだが。  
 
扉を開けて中にいる私を見た瞬間、  
プレセアは手に持っていた書類を取り落とし、私の傍へ駆け寄ってきた。  
 
扉から数メートルの所で床に座り込んでいたのだ、心配するのも尤もだろう…。  
 
 
『大丈夫ですか!導師?どこかお体の具合でも悪いのですか?』  
そう言って私の額に触れようとした彼女の手を振り払った。  
 
『触るな!』  
思わず叫んでいた。  
ウミが口付けたそこには他の誰にも触れられたくはなかった。  
 
 
ぼんやりとして座り込んでいるかと思えばいきなり声を荒げた私を、  
驚いた表情でプレセアが見ているのに気付く。  
 
『ああ…、いや、すまない……。大丈夫か?』  
一瞬で我に返り、謝罪の言葉を述べ立ち上がる。  
 
『はい。導師こそお体は大丈夫ですか?』  
その言葉に簡単に大丈夫だ、と答えると、  
それ以上プレセアは何も私に追求する事もなく、手早く落とした書類を拾って仕事の話を始めた。  
だがその内容は全く頭に入って来なかった。  
 
気が付くとウミの泣き顔ばかりが目に浮かび、あの時何も言えなかった事を後悔していた。  
もしあの時、何か言えたのなら彼女を引き止める事が出来たのだろうか?  
 
しかしどんなに考えても何を言えばいいのかが全く纏らず、彼女の元へ行く事が出来ない間に  
魔法騎士の三人が珍しく予定を早めて異世界に帰ってしまった事を聞いた。  
 
 
 
彼女は、どうやっても自分の手の届かない場所へ行ってしまった。  
 
 
後悔ばかりが心の中を駆け巡る。  
 
あの時約束を守れていれば  
あの時言葉を掛けていれば  
あの時彼女の腕を掴んでいれば  
 
何か、変わっただろうか?  
私は何一つ出来なかった。  
そして彼女は離れていってしまった。  
 
出口の無い迷宮に入り込んだように、毎日毎日考え続けた。  
 
 
 
それでも毎日の仕事は待ってくれない。  
考え込む事が多いせいで今までの様には進まなかったが、支障が出る程ではなくなった。  
しかし代わりに会う人会う人殆ど全てに尋ねられる様になった。  
『大丈夫ですか?』  
 
そんなに自分は酷い顔をしているのだろうか?  
そして段々そう言われるのも億劫になり、出来るだけ人との接触を避ける様になり  
仕事の話以外はすべてを遮断する様になった。  
 
誰とも顔を合わさない。  
誰とも口をきかない。  
この国の導師として、そんな事ではいけないとわかっている。  
いつかどこかに影響が出てしまうかもしれない。  
そう思っても、どうしても誰とも係わりを持つ事を避けていた。  
 
魔法騎士の三人が来ている、と聞いても彼女達の元へ向かう事はなかった。  
せめてもう一度話がしたい、いや、しなければと思うのに、  
もう一度彼女に拒絶される事が怖くてどうしても逢いに行く事が出来なかった。  
 
 
彼女に別れを告げられてから、自分の目に映るこの世界は色を失ったように色褪せて見えた。  
 
自分が何をしてるかわからない。  
何の為に仕事をしているのかすらわからない。  
 
今まで七百年以上生きてきた自分の基盤が、簡単に崩壊していく様だった……。  
 
 
 
 
 
 
その日は今のセフィーロには珍しく、黒い雲が空を覆っていた。  
まるで自分の晴れない心を表しているようで、外を見ることすらしたくなかった。  
 
 
気乗りしないまま仕事をしていると、フェリオが書類を持ってやってきた。  
『導師、こちら書類のチェックをお願いします』  
 
無言でそれを受け取り、チェックしてサインと押印をして差し出す。  
だが差し出した書類をフェリオがなかなか受け取らない。  
 
『王子?どうかされましたか』  
やっと口を開いた私に王子は書類を受け取りながら、意を決した様に言う。  
 
『導師、差し出がましい事ですが…ウミともう一度話をした方がいいと思います。  
 ウミは、ずっと元気がありません。それは導師も同じです。  
 詳しい事はわかりませんが、貴方方はお互いにきちんと話をするべきではないですか?』  
 
「おかげでフウまで元気がないんです!甘い雰囲気にもなれないんです!」  
という彼にとっての最重要事項は口には出されなかったが…。  
 
『今日は彼女達が来てますから、仕事はこのくらいにして話に行ってはどうですか?』  
そう言ってフェリオはやっと書類を受け取った。  
 
 
 
 
『ウミもずっと元気がありません、か…』  
まだ彼女は私の事を少しでも想ってくれているのだろうか。  
だが私は、今更何と言えばいいのだ…?  
 
 
考えていると今度はこつこつと、控えめな扉を叩く音が響く。  
返事をする前に扉を開いたのはランティスだった。  
 
ランティスに頼んだ仕事でもあっただろうか…  
考える間もなくつかつかと私の所まで歩み寄って来る。  
 
『このままでいいのか?  
 ウミといた貴方は、それまで見た事のない穏やかな笑顔をよくしていた。  
 そんな心許せる相手を、このままみすみす手放すのか?』  
普段は好んで話をしに来る事などないこの無口な弟子が唐突にそんな事を口にした。  
 
 
『しかし、彼女には…』  
言いかけた私の言葉を遮って、ランティスは強く私に問うた。  
『導師、俺は貴方の気持ちを聞いている』  
 
 
私の…気持ち?  
 
『もう少し、貴方は自分に素直になるべきだ。貴方は、どうしたいのですか?  
 このままウミを手放して、本当に後悔しないのですか?』  
 
…私が、どうしたいのか?  
自分が本当にどうしたいのか、それは…。  
 
 
――彼女に、逢いたい。傍に、いて欲しい。  
 
 
答えなんてとっくに出ていた。  
 
 
後悔は、今でも充分過ぎる程している。  
彼女にもう一度拒絶される事は怖い。  
でも、このまま逢わなければもっとずっと後悔したままだ。  
 
彼女に逢いたい、そう思うなら逢いに行けばいいのだ。  
幸い、彼女は今この世界にいてくれるのだから。  
 
 
ずっと彷徨っていた迷宮に明かりが差し込んだ様だった。  
 
『ランティス。礼を言う。…しかしお前にそんな事を言われる様になるとは思ってもいなかったな。  
 ヒカルの影響だな』  
そう言った私に、ランティスは紅い瞳少女を思い出したのか、僅かに笑みを漏らし頷く。  
 
『ウミが元気がないとヒカルまで元気が無い…』  
 
 
自分の恋人が哀しんでいるから、早く何とかしろと?  
全く、この男は……。  
しかし、そのくらい素直になるのもたまにはいいのかもしれない。  
 
『くっ…。結局はそれか、お前が私に言いたいのは』  
久しぶりに笑った気がした。  
 
 
あの時すら何も言えなかった私を、ウミはまだ許してくれるだろうか?  
いや、もうそんな事は考えまい。  
私は自分の気持ちを彼女に素直に伝えるだけだ。  
 
たとえ彼女が許してくれなくても、いい。  
今はただ、彼女にもう一度逢いたい……。  
 
 
 
『ランティス、ヒカルたちはどこにいる?』  
 
『中庭に』  
その返事を聞き、ランティスをおいて部屋を後にした。  
 
中庭にはランティスの言った通り、  
薄紅色の髪の少女は金色の髪の少女と二人で話をしていた。  
その顔は、心配げで寂しげで哀しげな、まるで自分が最後に見た蒼い髪の少女と同じ様な表情をしていた。  
だがそこに、いつも一緒にいる筈の蒼い髪の少女の姿はなかった。  
 
『ヒカル、フウ。ウミはどこにいる?』  
 
『クレフ!』  
『クレフさん!』  
ヒカルとフウが私を見て驚いた様に同時に名を呼ぶ。  
そう言えばこの二人に会うのもずいぶんと久しぶりだった。  
 
『…海ちゃんは精霊の森だと思うよ。最近いつも一人で行っちゃうんだ』  
寂しそうに言う。  
いつも明るいヒカルにまでこんな顔をさせている原因は間違いなく自分にあるのだと思い知らされた。  
確かに、これではランティスが己を尋ねてくる訳だ…。  
 
『クレフさん…』  
フウも何か言いたげに、私の方を見ている。  
 
 
『お前たちは何も心配するな』  
そう言った私に、安堵の笑みを見せる二人。  
 
実際はそんな自信はなかった。  
今更会いに行ったからと言って、彼女が以前の様な笑顔を私に向けてくれる保障などない。  
 
だが、せめて彼女に笑顔が戻ればいいと思った。  
それが自分に向けられなくとも。



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