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stay with me

 

この世界で暮らす殆どの者が眠りについている中、  
未だ終わらない山積の書類に囲まれペンを走らせ続ける、導師クレフ。  
 
一枚、また一枚と書類の山を片付けながら、ため息が一つ落ちた。  
 
『また、今回もウミとの約束を破ってしまった…』  
 
 
今日の昼頃セフィーロへやってきた恋人へ、急な仕事が入った事を告げると  
『わかった…』  
彼女は俯いて小さな声で呟く様に言い、くるりと踵を返し  
真っ直ぐに流れる美しく青い髪を揺らしながら去って行った。  
 
 
最近は魔法騎士の三人が来る時に限って、急ぎの仕事やら会議やらが重なってしまい  
結果的に毎回彼女との約束を破る羽目になっていた。  
 
彼女との約束を破るのはもう何回目だろうか…?  
 
 
 
いつからか、彼女は私が約束を破る事に怒らなくなった。  
怒りも寂しさも、直接私に向けられる事はなく、ただ静かに私の部屋から去っていくのだ。  
 
 
その華奢な背中が寂しくて、思わず手を伸ばしかけるが結局はただ見送るばかりだった。  
 
私と過ごすはずだった時間を、彼女は一人過ごすのだろうか。  
それとも誰かと笑って過ごしてくれるのだろうか。  
 
去っていく背中に次こそは必ず約束を守ろうと心に誓うのに、  
不可抗力とは言え、約束を破る回数を重ねるばかりだった。  
 
その度に彼女に我慢をさせ、寂しい思いをさせている自分に憤りを覚えつつも、  
この国での自分の立場を考えると仕事を蔑ろにする訳にもいかず。  
結局は彼女との約束より仕事を優先させてしまっているのは自分の判断でもあった。  
 
こんな時には本当に融通の利かない自分の性格を恨めしく思う。  
長く生きているせいか、頑固な性格のせいか、自分の事より国の事を優先させるその考えは自然と染み付いているものだった。  
 
 
また、大きく一つため息をついた時、扉の向こうに誰かの気配を感じた。  
 
扉をノックするでもなく、自分で開けるでもなく、  
ただこちらを伺っているような気配。  
 
彼女ならば簡単に入れるはずなのだがと不審に思う一方、たとえほんの少しでも時を共に出来るという喜びが心に湧き上がる。  
 
 
杖を一振りすると、扉は「ギ…」と低い音を立てゆっくりと開く。  
扉の向こうの彼女は哀しみと心配が混ざったような瞳をこちらに向け、何も言わずに立ち尽していた。  
 
 
一瞬、その瞳に言いようのない不安を覚える。  
しかし久しぶりに彼女と二人きりで逢えた嬉しさの方が大きく、その不安を頭の中から打ち消した。  
だが同時に今日も約束を破ったという罪悪感もあり、  
出来るだけ平静を装って訪ねて来た理由を問うた。  
『どうした?こんな時間に。眠れないのか?とりあえず中へ入れ』  
 
 
一声かけるとやっと彼女は部屋の中へ入り、扉を閉める。  
『やっぱりまだ仕事しているのね…』  
 
部屋の中に入っては来たものの、彼女はまだ扉の前に立っている。  
そこから自分の座っている机まで、会話をするには不自然な距離を彼女は縮めようともせずに、そのまま話し続ける。  
 
『どんなに遅く来ても、いつもいつもここで仕事しているんだもの。  
 もう、皆寝てる時間じゃない?』  
 
心配しているのか、怒っているのかよくわからない口調で彼女は言う。  
 
 
『まだ、仕事が終わらんからな。今日も、その…出かけられなくてすまなかった』  
いつもの様に謝罪の言葉を述べると、  
彼女はいつもの様に寂しそう首を横に振る。  
『……しょうがないわ、お仕事だもの』  
 
 
どこかへ消えてしまいそうな程儚げな彼女の姿に、最初に感じた不安がまた湧き上がった。  
そこに本当にいるのだと確認をしたくて椅子から立ち上がる。  
そして彼女の元へ歩み寄りながら、近頃ずっと気に掛かっていた事を尋ねた。  
 
『最近お前は私が約束を破っても、怒らなくなったな。  
 そして、仕事を手伝うと言って部屋に来る事もなくなった』  
 
『クレフは大事な仕事をしてて忙しいんだから、しょうがないもの』  
私の問いに間髪入れずに返ってきた言葉に、少しだけ彼女らしさを感じたが、  
哀しそうに微笑む彼女は今にも涙を流しそうだった。  
 
『しょうがない事はない。本当にすまない。  
 お前にはいつも我慢ばかりさせて、申し訳ないと思っている。  
 だが、次は必ず……』  
 
彼女は大きな蒼い瞳を一瞬見開き、それが揺らめいたかと思うと意を決した様に口を開いた。  
 
『もう、約束するのは止めましょう。』  
 
 
 
彼女の元へと進めていた歩が止まる。彼女に触れるまで後少し、と言う距離で。  
…彼女が何を言っているのか理解出来なかった。  
 
『どういう意味だ?それは…』  
そう尋ねるのがやっとだった。  
 
 
『私は約束が守られないのは辛い。一緒に過ごせると期待して、それが叶わないのが哀しい。  
 でも、最初から約束していなければそんな風に思わなくてすむわ。  
 それに、クレフだって約束していなければ、破る事もなくなるし、  
 破ったと気に掛ける事もなくなるし、約束の為に無理をする事もなくなるわ』  
 
必死に彼女が涙を堪えているのが判る。  
私の為に言ってくれているのも痛い程伝わってくる。  
でも……嫌だ。  
そう言いたいのに声が出ない。  
身体が動かない。  
 
 
何も言えずにその場に立ち尽くした私を哀しげに見つめる彼女の深い蒼の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。  
彼女は一歩、二歩と私の元へ歩み寄り、彼女を見上げる私の額にゆっくりと、優しく口付ける。  
そして、またゆっくりと離れて私を見つめて言った。  
 
『だから、別れましょう』  
 
 
――彼女は今、何と言った?  
頭が働かない。  
いつも冷静に物事を判断し、状況を把握し、的確な指示を周りに出してきた筈の  
セフィーロの導師たる自分が、今は何一つ、彼女の口から紡がれた言葉の意味を理解出来なかった。  
 
――わからない、彼女が何を言っているのか。  
――わからない、彼女に何と言えばいいのか。  
――わからない、自分がどうすればいいのか。  
 
 
気づいた時には彼女は部屋を出て行った後だった。  
『もう、これ以上無理しないでね』  
最後まで、私の事を心配した言葉を残して。  
 
間近で見た彼女の瞳は涙を零す前から赤かった。  
きっとここへ来る前にも、一人で泣いていたのだろう…。  
 
 
私は、彼女を引き留める事が出来なかった。  
彼女が流す涙を拭う事も出来なかった。  
彼女に声をかける事すら出来なかった。  
 
 
 
彼女が去った部屋の中は、彼女が来る前と変わらない筈なのに  
急激に気温が下がった様に寒く、色をなくした様に空虚だった。  
 
私は、今まで何をしてきたのだろう。  
七百年以上生きてきて、愛しい人ひとり守れない。  
初めて恋という感情を教えてくれたその特別な存在は、  
何とも簡単に自分の腕の中から去って行ってしまった。  
 
 
ぺたりとその場に座り込んでいた。  
何も考えられないまま、朝を迎えていた。  
朝陽が大きな窓から差し込んでくる。  
光を追って窓の方に目を向けると、いつもと何も変わらないセフィーロの空が見えた。  
 
まるで、彼女の様な美しい青。  
 
『ちゃんと休んでよ』  
『そんなに仕事楽しい?』  
『息抜きしないと、頭おかしくならない?たまには、外の空気を吸わないと駄目よ!』  
くるくる変わる彼女の表情が思い出される。  
明るい笑顔、怒った顔、哀しい顔、喜んだ顔、寂しそうな顔。  
 
いつだって私に素直に感情をぶつけてくれていた彼女が  
我慢して言葉を飲み込んで、怒らなくなったのはいつからだろう…。  
その変化に気付いていた筈なのに、それは彼女の優しさだと都合良く解釈して甘えてしまっていた。  
 
彼女が自分を好きだと言ってくれたから、自惚れていた。  
ずっと彼女は傍にいてくれるものだと、自分勝手に思っていた。  
 
 
永遠など在りはしない。  
それは、自分がよく解っていた筈なのに…。



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