先生に頼まれた仕事をしていて、帰るのが遅くなった。
まとめたプリントを職員室へ持っていき、足早に教室へ急ぐ。
廊下はいつの間にか色濃くなった夕陽のオレンジ色に染まっていた。
早く帰らないと家に着く頃には真っ暗になってしまう、そんな事を考えながら
窓から覗く夕陽の光に目を向けた時、前が見えないほどのたくさんの書類を抱えた人に思いっきりぶつかってしまった。
『きゃっ!』
あげた悲鳴と同時に、ぶつかった衝撃でよろけた身体を支える力強い腕の感触。
思わずつむってしまった目を恐る恐る開けると、目の前にいたのは生徒会副会長のクレフ先輩だった。
学年も違い、普段の学園生活では全く接点のないこの先輩に
入学式に初めて会った時、私は一目惚れしてしまっていた。
その整った顔立ちと全国レベルの頭の良さ。そして誰にでも優しいとくれば学園内でもすごい人気だ。
だけど不思議と先輩には特定の彼女はまだいなかった。
散らばった書類を拾い集め、ついでに生徒会室に運ぶ手伝いをして学校を出ると
先ほどまで空を埋め尽くしていたオレンジ色はすっかり濃紺に変わってしまっていた。
『すっかり暗くなったな、悪い。送っていこう』
校門を出て、てっきりそこでお別れだと思っていた私に、先輩は当たり前の様に私と並んで歩きだした。
これは、チャンスだ…クレフ先輩と二人きりになれる事なんてもうないかもしれない。
玉砕は覚悟していた。
ただ気持ちを伝えたかった。
私を知って欲しかった。
『あ、あのっ!!』
意を決して、いつのまにか少しだけ前を歩いていた先輩に声をかけた。
たった一言が、それはとても不自然に響いた。
『どうした?龍咲』
続けて言葉を紡ごうと上げた目線の先には、月明かりに照らされてこちらを見つめるクレフ先輩。
その眩惑的な美しさに…思わず息をのむ。
”せんぱいが、すきです”
たったそれだけの言葉が、どうしても出てこない。
普段は物怖じせずに思った事を口に出し、それ故の失敗に反省する方が多いというのに。
こんな肝心な時に、勇気が足りない。
言わなければ何もはじまらない。
そう思うのに、なかなか思うように口は動いてくれなかった。
『つっ、月!綺麗ですね!!…今日は満月でしたっけ』
先輩から空へ目線を更に上げてそう言うのが精一杯だった。
”月が綺麗ですね”
その言葉の指す意味を、知識として先輩が知らない事はないだろうけど…
だって今日は本当に月が綺麗なんだもの。
ほとんど話なんかしたことのないただの後輩が、何の脈絡もなく言ってもそれを告白だと捉えてくれるとは限らない。
『ああ、そうだな。今日は中秋の名月だしな。
本当に…綺麗な月だ』
同じ様に月を見上げた先輩が、ゆっくりとこちらを振り返って微笑んだ。
私にとっては月よりも、その笑顔がとても綺麗で
どうしようもなく顔が熱くなるのを感じた。
周りが暗くなっていて、良かった。
…あれ、でももしこの紅くなった顔が見えたらもしかしたら私の気持ちはちゃんと伝わったのかしら。
結局そのままほんの少しの距離をあけて、先輩の後ろを歩く。
言わなきゃ、何か言わなきゃと思っているうちに
ぴたりと、先輩が歩みを止める。
気付くとそこはもう私の家の前だった。
そこで少しの違和感。
先輩は前を歩いていたのに、それは私のいつもの帰り道と同じだった。
ゆっくりと先輩が振り返る。
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月明かりに照らされて、薄い紫色の髪が輝いて見える。
『明日も、一緒に帰ってくれるか?』
差し出されたその綺麗な手に、自分の右手をそっと重ねた。



