出逢って二度目のクリスマスの夜から、二人は一緒に暮らし始めました。
でもそれは一緒にいる時間が長くなったというだけで、
それまでとたいした変化があったわけではありませんでした。
***
『…名前を、呼んで欲しいのに、な…』
『ウミちゃん、大丈夫?』
同じころに”天使”になり、それからずっと親友である二人の天使との久しぶりの再会の場で
蒼い髪の天使はつい愚痴めいた事を口にだしてしまいました。
せっかく久しぶりに会えたというのに…
紅い髪の天使に名前を呼ばれて始めて、考え事をして上の空になっている事に気づきました。
気づいた時にはそれは口をついて発せられた後で 、二人の天使は心配げな瞳でこちらをみつめていたのです。
『ご、ごめんね。ちょっとぼーっとしちゃってたみたい…何でもないの、大丈夫よ』
いつも明るくはっきりとした物言いをする蒼い髪の天使が、こんな風に言い淀むのはとても珍しいことで
二人の天使はすぐにそれが恋の悩みなのだと気づきました。
『そういえば、ウミさんはどちらかのサンタさんと一緒に暮らし始めたと聞きましたわ。
今日はその辺の話もお伺い出来るのでしょうか?』
いつもにこやかな笑みを絶やさない金の髪の天使は、殊更楽しそうな笑みを浮かべていました。
『…ふっフウ!?どこからそんな話をっ…』
素直で感情が表に出易いいつもの彼女らしく、ウミと呼ばれた蒼い髪の天使は顔を 真っ赤にしながら二人を見つめて俯き
やがて観念したようにぽつりぽつりと話始めたのでした。
あの国のサンタがとても優しい人である事
その優しさに、いつのまにか惹かれていた事
一緒にいて欲しいと言われた事…
しかし、その後は言葉を続ける事は出来ませんでした。
”天使”は大天使さまからの命を受け、主に人を時には動植物に至るまでその願いを叶えるのが仕事です。
いろいろな世界を飛び回り、その行動範囲が広すぎる為に中央と呼ばれる大天使さまのいる空域以外では、偶然に他の天使に逢うことはあまりありません。
常に単独行動の為、余程親しくなければお互いの名前を呼び合う事もないのです。
それが”願いを叶える相手”となれば尚更で、天使は天 使以外に名前を教える事などめったにありません。
そしてそれは逆も同じで、相手を特定する目的以外で相手の名前を聞く事もないのでした。
サンタもそれを知らないはずはありません。
地上に住まう人に比べると天上に住まう人は随分と少ないのです。
その為、”天使”が願いを叶えるのは、地上に住まう人を相手とする場合が圧倒的に多いのです。
そしてあのサンタは、ずいぶんと長い間”サンタ”としてあの国を見守っています。
きっとあの国の人の元へも天使が訪れる機会はあったでしょう。
確かにあの日-ずっと一緒にいて欲しいと言われた日-、ウミはサンタに名前を明かしました。
そしてサンタも自分の名前は”クレフ”というのだと、教えてくれたのです。
『ウミ …』
ですが、反芻する様に小さく優しく呟かれたその名前は、それ以後一度も呼ばれていません。
ウミがやってくると、優しい笑顔で出迎えてくれるクレフは
それまでと変わらなすぎるほどに変わらなかったのでした。
どんなにウミがこの友人たちと話をする様にクレフに話しかけていても
彼の言葉遣いにも態度にも変化は感じられず、近づけたと思った彼との距離も全く変わってない様に思えてなりませんでした。
あの日の言葉が夢だったかと錯覚してしまう程に。
『私はもう、”天使”として逢いに行っているのではないのに…』
独り言の様に発せられたその言葉は、まるで溶けてしまいそうな程に小さかったのでした。
***
『ウミ…』
長く暮らしているこの家は、全てがクレフに馴染んでいたはずでした。
それなのに、一人でいると妙に広く静かに感じる様になっている事に気付いたのはごく最近のことでした。
セフィーロ国を見守り、クリスマスに人々に贈り物をする。
それが何百年もずっと一人でこの国を見守ってきたクレフの”サンタ”としての仕事です。
その生活に、淋しいと思うことも辛いと思うこともありませんでした。
国の人々が嬉しそうに笑い合う姿を見ているだけで彼の暮らしは充分満ち足りていたはずでした。
でもそれは、彼の前に一人の天使が現れてから変わってしまったのでした。
『あなたの願いを、叶えに来ました』
そう言って天使は2年前のクリスマスの夜にやってきました。
地上に雪 を降らせて貰ったりお茶につきあってもらったりと、彼の”願い”を天使は叶えてくれました。
ですが、その後も天使は彼の元を頻繁に訪れるようになりました。
時間の空いた時に一緒にお茶を飲んだり他愛の無い話をするだけでしたが
いつの間にか彼は天使と過ごす時間を心待ちにしている自分の心に気づくのです。
一人で過ごす時間を淋しいと感じる様になっていったのです。
最初はその気持ちが何なのかわからなかったクレフも、特別幸せそうに笑い合う地上の恋人たちを見てその気持ちが恋なのだと気づきました。
「これからもずっと一緒にいて欲しい」素直にその気持ちを天使に伝えると、天使はとてもとても嬉しそうに微笑み、差し出した手に応えてくれたのでした。
そして自 分は”ウミ”というのだと教えてくれたのです。
その名前は、驚く程にすとんと自分の中に落ちてきました。
美しく流れる髪もそれより深い瞳の色も、その名前に余りに似合っていて、
思わずその名前を反芻するように呟きました。
ですがその後ずっとクレフは彼女の名前を呼ぶ事が出来ませんでした。
最初は”彼女が天使だから”気安く呼んではいけないからだと思っていました。
でもだんだん時間が経つにつれてそれは無意識に感じている不安が原因なのだと気づいたのです。
彼女は元々、”自分の願いを叶えに来た天使”なのです。
「ウミはそれが私の”願い”だから一緒にいてくれるだけなのではないだろうか…」
ひとたびそう考えてしまうと、その不安な気持ちは重くクレフにのしかかりました。
一緒に過ごす間はその不安な気持ちを忘れ、心穏やかに過ごす事が出来ましたが
ウミがいなくなってしまうとまたそんな気持ちが心を支配するのです。
いつか、私の元へ来なくなってしまうのかもしれない。
”仕事”として私の側にいてくれるだけで本当は迷惑なのかもしれない。
そんな事を考え、ただぼんやりと国を見つめている時間が増えていきました。
それはこのままではこの国を見守る仕事にも支障が出てしまう程に長くなっていったのです。
そしてまた、クリスマスが近づいてきました。
いつもの様には準備が出来ていなかったクレフは、大忙しです。
ウミは遠くで仕事があると言い、しばらくクレフの元を訪れていません。一緒に過ごす様になってからこんなに長く逢えないのは初めてでした。
今はクリスマスの事だけを考えなければ…そう自分自身に言い聞かせながら、クレフは贈り物の準備に励みました。
そしてとうとうクリスマスイブ。
クレフが贈り物をほとんど配り終わった頃、天使の羽音が聞こえ思わず手を止め振り返りました。
『ウミ!?』
ですがそれはウミではなく、美しい金の髪をした天使がにこやかな笑顔でこちらを見ていたのです。
『ウミさんのお相手は、貴方でしたのね…。貴方でしたら安心してウミさんを任せられますわ』
クレフはその言葉に戸惑いの表情をみせるばかりでした。
『私の事も覚えていらっしゃらないのですね…。でも、お礼だけ言わせて下さい。
あの時は本当に…本当にありがとうございました』
深々と頭を下げた金の髪の天使に益々戸惑いは増すばかり。
『…フウ?』
そこに、聞きなれた声が響きます。
二人を交互に見やりながら、不思議そうにしていました。
『どうして、二人が一緒にいるの?というか、フウがどうしてここにいるの?』
『ウミさんのサンタさんに一言申し上げようと思ったのですが、あの方が相手であればその必要はありませんわね』
そのコロコロと笑う顔は、最初の穏やかなものとは違い何だかとても楽し気でした。
そしてそれだけ言うと、白い翼を大きく広げ飛び立ったのです。
『え、ちょっと!フウったら!!』
フウの言葉の意味を確認するため、ウミもフウを追いかけ翼を広げ飛び立ちます。
『ウミ!』
ウミがフウ に追いついたのは、クレフのいる雲の上からはその姿もその声も見聞き出来ないほどずっと高い場所で
思わずその名を叫んだ声も、その場に繋ぎ止めようとした手が空を切った事もウミは知る事が出来ませんでした。
『フウ!!』
雲の上より高いところで、フウはセフィーロ国を見下ろしていました。
その瞳はどこか懐かしそうで、それでいて少し寂しげな色も含まれている様でした。
『あら、ウミさん…サンタさんはよろしいのですか?』
『よろしいのですか、じゃないわよ。さっきのは一体どういう意味なの?フウはクレフと知り合いなの?』
フウはその言葉に、ウミに向けた瞳をまたうっすらと地形だけ見える程度のセフィーロ国とその上の雲にいるであろうクレフに向けました。
『あのサンタさんはクレフさんとおっしゃるのですね…
知り合い、と言ってよろしいでしょうか。
私が知っているのはあの方がこの国で永くサンタをされている方である事…
そしてフェリオと…私の恩人である事、ですわ』
『恩人…?』
反芻する様に呟いたウミの言葉に頷き、今まで見た事のない表情をしたフウが静かに話し始めた。
『ええ…私はウミさんとヒカルさんより少しだけ早く天使になりましたよね。
そしてはじめてのお仕事の相手はこの国の王子でした』
***
その方はとても立派な王子だ、と伺っていました。
国を思い、民を思い、民にも臣下にも慕われている王子。
王子には最初、叶えてもらう願いは ないと言われてしまいました。
そして私は本当にないのかゆっくり考えてもらうために、しばらくの間彼の側で過ごす事にしたのです。
彼はとても多忙な方でしたが、執務の合間をぬっては私の話し相手になって下さいました。
”天使”は天使になる以前の記憶はないと言った私に彼は自身の色々な話をして下さったのです。
厳しく優しいお父様や、明るく温かいお母様のお話。
一人で城を抜け出してのちょっとした冒険談。
剣の修行や勉強の話等それは本当に多岐にわたっていて飽きる事はありませんでした。
そんな時を過ごす内にいつの間にか彼の側に居心地の良さを感じていました。
ですが彼の元へ訪れて、一ヶ月が経った頃でした。
急に彼が『 願いは何でもいいのか』と聞いてきました。
私が頷くと、彼は思ってもみなかった願いを口にしたのです。
”俺も、貴女と同じ天使になりたい”
しかしその願いは、地上での生を終わらせる事と同意です。
彼が何より大事にしているはずの国とその民との別れをも意味しているのです。
そして自ら命を絶ってしまえば天上で暮らす事は適いません。
彼の願いを叶える事が出来ないまま、また一ヶ月が過ぎました。
私はどうすれば良いか解らずに、一度中央へ戻る事にしたのです。
ですが中央に戻ると、彼の願いを叶える必要はないと言われました。
もう彼はいないから、と。
私は急いでセフィーロ国に戻りました。
ですがその時には既に王子の葬儀の準備が進 められていたのです。
国中の皆が彼の死を悼み、泣いていました。
…彼は 増水した川に流された子供達を助け、命を落としたそうです。
他の人には気づかれない様に、私は彼の元へ行きました。
そこに横たわっている王子の顔はとても安らかで、まるで眠っている様でした。
でも、もう彼は目覚めない。
明るいおひさまの様なあの笑顔を、もう私に向けてくれることはないのだと
気付いた時には私はその場で泣き崩れていました。
どのくらいそうしてそこへ座り込んでいたでしょうか。
こつん、何かが指に触れた感覚に、顔を上げました。
そこには七色に光る小さなお星さま。
ころんと転がったそれは、少しずつ輝きを失い溶ける様に消えて行きました。
『天使さま』
見上げるとそこには赤い服に赤い帽子の、でも白いひげのおじいさんではなく 随分と幼い容姿をしたサンタさんが立っていました。
その日はそう、クリスマスイブの夜だったのです。
七色の星はサンタさんが抱えた白い大きな袋から溢れ出たものでした。
そしてサンタさんはその中からひとつの小さな星を私に差し出し微笑みました。
無意識に手を出し受け取るとそれは見覚えのある二つの金色のリングに変わったのです。
『これ、は?』
聞かなくても、解っていました。
それは王子のリング。
生まれた時からずっと身に着けているお守りなのだと、
いつか大事な人が出来たらひとつを渡すのだと、そう教えてくれた時のはにかんだ笑顔はとても印象的でした。
『王子から、貴方へと渡してくれと頼まれました。
また逢える時まで預かっていて欲しいと』
『また…逢うことが出来るのでしょうか…』
その言葉に、また大粒の涙が溢れました。
『逢えます。必ず』
その見た目に合わず、それは穏やかでそれでいてとても力のある言葉でした。
『王子は、物心ついた時から一度も自分の為のクリスマスの贈り物を願いませんでした。
いつも国と民の為にとそればかりで。
だから、彼のたったひとつの願いを私は必ず叶えます』
サンタさんが瞳を閉じ、呪文を唱えると両の手の平から先ほどよりも少し大きな七色の星が形作られました。
一度それを手に包み、次に開いた時にはそれは小さな銀色の鍵になっていました。
『彼に逢ったら、これも一緒に渡してください…』
私が小さな鍵を受け取ると、サンタさんは崩れ落ち る様にその場に倒れてしまいました。
『大丈夫ですか!?』
慌てて起こそうとしましたが、サンタさんは大丈夫だと言うばかりで
差し出した手を取ろうとしませんでした。
『少し、力を使いすぎただけです…こうして休んでれば平気ですから。
その鍵は私の中にあった王子の記憶。天上に上がると地上で過ごした記憶は無くなってしまいます。
それを思い出させる事は出来ませんが、その鍵で地上で過ごした王子の姿を記録として見る事は出来ます』
『そんな、でも…』
記憶を見せたところで信じてもらえるのかもわからないのに
そもそも彼が私の事をどう思っていたかもわからないのに
『最後まで、彼はこの国の王子として生きられました。
だからこれからは自分の望む様に生きて欲しいのです。
彼が何故天使になりたいと願ったのかは貴方ならお解りでしょう』
未だ座り込んだままのサンタさんに後押しされて、私はそのまま中央へ戻りました。
そこで本当に天使となった王子と再会したのです。
***
『…その王子が、フェリオって訳ね』
そこまで聞けば嫌でもわかります。
フウと初めて出会った時からその隣にはいつも一人の天使がいました。
『はい。フェリオが銀の鍵に触れるとサンタさんの記憶が映像となってフェリオの周りを取り囲んだのです』
その情景を思い出すかの様に、空を見上げ舞い降りた雪の結晶を手の平でフウは受け止めました。
『フェリオはそれを、信じてくれたのね』
『ええ。もし信じて頂けなくて一から始める事になってもフェリオの側にいるつもりでしたけど』
フウは左手の薬指にはめられた金のリングに大事そうに触れ、笑顔を見せます。
『なあに、それ。惚気?』
楽しげなフウの笑顔にくすりと零れた笑みは、先ほどまでより幾分いつもの彼女らしく見えました。
『だから、ウミさんも早くあのサンタさんと幸せになってくださいな。
サンタさんが国の記憶を人に渡すなんて、仕事に支障が出るでしょうに…
一度フェリオが会いに行ったら全く覚えてなかったそうですのよ』
とても真面目で優しくて、そして不器用な方なのですね。
楽しそうに笑うフウの言葉に、顔を赤らめながらもウミはそれが余りに彼らしいと思いました。
『本当に、びっくりするほど自分の事には無頓着で…人にばっかり優しいの。
でも私はそんなクレフの側にいたいから、迷惑じゃないならずっと側にいたいから…』
だから彼の元へ…そう続けようとしたウミの言葉はフウに伝えられることはなく、
雲の上にいるはずのクレフの声にかき消されました。
『ウミ!』
魚の姿に羽が生えた精獣に乗ったクレフがウミを追いかけてきたのでした。
そしてクレフの声に振り返ろうとした瞬間には翼ごとぎゅうと抱きしめられていたのです。
『行かないで、くれないか…』
クレフのその言葉と行動に、ウミは動く事が出来ませんでした。
振り返ってクレフの顔を見たいと思っても後ろから抱きしめられている為にそれは適わず
何か言わなければと思っても何から言って良いか解らずに開きかけた口からはなかなか言葉が出てきません。
フウは追ってきたクレフを見てに安心したのか、翼を広げて飛び去る姿がちらりとウミの瞳に映りました。
『あ、あの…クレフ…?』
少しずつ、精獣は二人を乗せたまま降りて行きます。
雲の上まで降りてきた頃にやっとの事で紡ぎ出した声は、少しかすれていました。
でもその言葉は確かにクレフに届いた様で、ゆるゆるとその手は弱められます。
『すまない…。だがウミはもう私の元には来てくれないかと…』
急に思ってもみない言葉を言われ、ウミはクレフをまっすぐに見る事が出来ずに思わず俯いてしまいました。
でも気持ちを伝えると決めたばかりです。
上手く言えなくても、解ってもらえるまで何度でも。そう決心して口を開きました。
『どうして…そんな風に思うのよ。一緒にいるって…約束、したじゃない。
私の方が、クレフがどうして私と居たいって言ってくれたか…わからなくて
&nbnbsp;
私が側にいるのは迷惑なのかなって……』
真っ赤に頬を染めて必死に言葉を紡ぐウミを見て、クレフは今まで自分が悩んでいた事をとても後悔しました。
きちんと彼女を見れば、自分の気持ちを口に出せばすぐにわかったはずでした。
彼女はこんなにも、いつも素直に気持ちを伝えていてくれたのですから…。
『私は、ウミが好きだ…。だから、これからも一緒に居て欲しい』
そう言いながら、クレフはすい、とウミの手をとりそこに口づけを落としました。
恥ずかしさのあまり逸らしたウミの瞳に映ったのは、贈り物の箱でした。
『ちょっと、クレフ?もしかしてまだクリスマスの贈り物配ってる途中だったんじゃないの?』
そのウミの言葉にはっとクレフは地上を見下ろしました。
まもなく空が白んでいく時間になろうとしています 。
『いかん、あと少し配ってしまわねば。ウミ、手伝ってくれるか?』
慌ててその贈り物を抱えるクレフを手伝いながらウミは小さく、でもとても幸せそうに笑って言いました。
『もう、しょうがないわね…。ずっとクレフの側で、手伝ってあげるわ!』



