数年募らせてきた想いを打ち明けた時
彼はとても優しく微笑んでくれた
そして
あろうことか
私の心に応えてくれた
*
『心のままに』
*
「…。」
少年の姿の彼は半身を起こし、一瞬何が起こったか理解できずに動きを止めていた
「どう?」
そこへほんの少しだけ期待感を持った口調で後ろからお伺いをたてる蒼い髪の少女
「…。」
少年はゆっくりと、殊更にゆっくりと首だけを後ろに振り返り、見上げる
「…ウミ」
「ん?」
少年の目には海がとても楽しそうな瞳で自分を見ているように感じる
いや、きっと気のせいではないのだろうが…
「何の真似だ?」
僅かに怒気を含んだ声
「怒った?」
「は?」
彼女から感じる楽しそうというか、期待を感というか…恐らく本人は隠そうとしているのだろうが、全くもってだだ漏れである
そんな調子で言われた一言は彼の理解の範疇を超えていた
「ねえ、クレフ、怒った?」
「…。」
何が言いたいのやらわからないが、しかしそんな風に言われてはこちらとしても怒る気が削がれてしまうのも事実で…
「いや、別に怒ってはいないが…」
「えぇー…」
「…。」
膝をつき、身を起こしながらそう言えば、彼女からは不満そうな声が漏れた
一体何だというのだ
こちらは転ばされたのだぞ
それを怒らないでいてやるというのにその不満げな態度
全くもって理解ができん
文句は山ほどあるが、とにかく言う気にもなれず、転んだ拍子についた埃をはたく
「ねえ、クレフ?」
海はそんなクレフの顔をひょいと覗き込む
「なんだ?」
「クレフは、何をされたら怒るの?」
「………………………は…?」
その無邪気すぎる表情と声にクレフは自分でも間抜けだと思えるほどの声を発していた
***
「それ、本当にやったの…?」
皆が集まるセフィーロ城の広間で、海は偶然そこに居合わせたプレセアに先ほどの出来事を話していた
プレセアに聞きたいこともあったのだ
「えぇ。やったわ」
どこか誇らしげにそういう海を見てプレセアは呆れたように深くため息をついた
「あのねぇ、ウミ。いきなりローブの裾を踏んではいくらなんでも導師がかわいそうよ」
「…だって、怒るかなって思ったんだもの」
「…。」
そりゃあ、本来ならば怒るだろう
導師とて人間だ
嫌なことをされれば嫌な気持ちになる
しかし…
プレセアは自分が入れたお茶を美味しそうに啜る海を見る
…こんなに純粋な目で『怒った?』なんて聞かれちゃ、怒るに怒れませんよね、導師…
同情の深い溜息がプレセアから漏れた
「だって、ラファーガはそれで怒ったって言ってたじゃない」
「あれはラファーガとカルディナだからよ」
またしてもため息が漏れてしまう
友人カップルにあった最近の喧嘩話を聞いていて
思いついたのだという
『そういえば、クレフと喧嘩したことないわ』
…幸せな悩みよねぇ
傍から見ればただのノロケなのだが
…それをなんのてらいもなく言ってのけてしまうのだから、この娘は…
「ねえ、プレセア」
「なに?」
「クレフは、何をされたら怒るかしら?」
「…。」
蒼い髪の少女は真剣だ
とても真っ直ぐに自分をみている
それ故にプレセアはうまくかわすこともできない
しかし、導師の怒りポイントを教えたところで自分にも彼女にも、ましてや導師にも利があるとは思えない
それに…
「ウミには無理よ」
一瞬考えて、プレセアの出した答えはそれだった
「えぇー?」
口を尖らせる少女を見てプレセアはふっと笑みをこぼす
きっと、この少女がすることで導師が本気で怒るなど無いだろうことがわかるからだ
自分は痛いほどそのことを知っている
導師がどれほどこの少女を愛しているか
きっと誰よりも…
「だから、おかしなことをするのはやめておいたほうがいいわよ」
自分にできる忠告はここまでだ
そう微笑んでプレセアは、まだ仕事が残ってるから、と広間を出て行った
その後にはやはり憮然としたままの海が残っていた
***
恋人と喧嘩した話を少し気恥ずかしそうに話す友人を見ていて、なんだか羨ましくなった
贅沢な悩みだってことはわかってる
けど…
「クレフは寛大すぎると思わない?」
プレセアにはあんなふうに言われてしまったけれど、やっぱり誰かに意見を求めたくて海が訪れたのは果樹園
ここの管理を任されている招換師アスコットは導師の弟子にあたる
彼は大きな魔獣を従えて果樹の手入れをしているところだった
「う~ん…」
アスコットは困ったように笑って唸っていた
正直、自分と彼女では導師の中での立場が違うのだ
同じことをしても同じ反応が返ってくるとは考え難い
…っていうか―
アスコットはちらりと海を見る
魔獣たちが次々と籠の中に果物を入れていくその手伝いをしてくれている彼女はとても無邪気に見える
…そういうことを僕に相談するんだもんなぁ…まぁ、仕方ないんだけどさ…
複雑な心情が彼女に伝わるわけもなく、アスコットは小さく肩を落とした
想いを寄せ始めたのは、彼女が導師と恋仲になる前
いや、むしろ、彼女が導師に好意を持つずっと前だ
そう自負している
しかし気付けば想い人はこっちを振り向く気配どころか違う人に夢中になっていて…
…しかも相手は導師って、ねぇ
セフィーロ最高位の魔導師である導師クレフ
それはアスコットにとってはあまりにも高すぎる壁であった
「とにかく、僕はプレセアに賛成だな」
アスコットにも海の悩みは贅沢に思えた
上手くいっている関係を何も崩そうとしなくても良いと思う
海と導師の関係がうまくいかなければ自分にもチャンスがあるかも…そう思っていたのは最初だけだった
今ではわかる
こうして近くにいて、話していて
例え海が導師のことを好きになっていなくとも、彼女の中で自分は「友人」なのだ
寄せられる言葉や態度が、友人として自分を信頼してくれているとわかる
そりゃあ、男として見てくれるのが一番嬉しいけれど…
今はそれで、このままで良いと思えるから
「僕やフェリオたちを叱るように導師がウミに接することはないよ」
「…。それは、わかってるんだけどねぇ…」
唇を尖らせて海は困ったように息を吐いた
「でもねぇ…時々不安にもなるのよ」
「?」
「あんまり優しすぎると…不安になることもあるの」
「??」
アスコットには海のその真意がわからなかった
***
「うーん…」
結局何も有力な情報を得られないままで海は広間のテーブルに突っ伏していた
優しい優しい恋人を怒らせる方法など海自身にもわかるはずがないのだ
「何を一人で唸っているんだ」
「っ!」
突然頭上から降ってきた声に海は驚いて顔を上げる
「クレフ!なんで?」
目の前に居る恋人は仕事が忙しくて手が離せないはずだ
そのせいで海は一人ふらふらとしていたのだから
…もちろん、彼のローブの裾を踏んで転ばせたことで少しだけ気まずいというのも、ある
「お前、プレセアにもおかしな質問をしたそうだな?」
「や、やだ。プレセアに聞いたの…?」
疑問には答えずに、冷ややかに見下ろしてくる少年の姿の恋人に海はひきつり笑いを浮かべた
「…。私に怒ってほしいのか?」
「…。」
「そのために私のローブを踏んだのだろう?」
「…~。」
海は視線を逸らすことしかできない
その時は彼が怒ったらどうなるんだろうという興味もあったが
プレセアやアスコットに話を聞いた今となっては怒らせることに少し抵抗を覚えていた
一般的にはそれが当たり前なのだろうが
「一応聞くが―」
クレフは軽く息を吐きながら海の目の前のテーブルについ、と手を置き、彼女の藍色の双眸を覗き込む
「―わかるか?」
「っ…?」
その近さに驚き海は僅かに身を後ろにひく
背もたれのない椅子なので背中が不自然に反ってしまい、少し辛かったが
それよりもクレフのその威圧感のようなものから遠ざかりたい気持ちのほうが勝っていた
「私は今、そこそこ苛ついているのだが」
「っ…。」
今まで見たこともないくらいに冷ややかな眼差しに背筋がぞくりと震える
「いい加減にしておけよ?お前が思っているほど私の気は長くはないぞ」
囁くように、それでいて声に魔力でも含んでいるのではないかと思うほどの力を感じて海は更に身を引こうとする
しかし、今以上に身を引いてしまっては椅子から転げ落ちてしまう
優しい優しい、いつもの穏やかな彼の空気は欠片も感じることができなかった
「ご…ごめ…んな…さ…ぃ…」
喉が詰まりそうになりながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ
声が震えてしまった
「反省しているか?」
そう聞かれてもこくこくと小さく首を縦にふるのが精一杯で
海の表情には見るからに困惑と恐怖の色が見て取れた
すると
突然ふっとクレフの表情が柔らかくなる
「いい子だ」
テーブルに置いていないほうの手で優しく海の頭を撫でた
「っ…。」
その瞬間的な変わり様に海は面食らってしまった
「もう、こんなくだらないことを考えるなよ」
さっきまでの冷たい視線や空気はなく、そこにはいつもの優しい瞳
紫の混じる深い青はゆるりと細められている
「~~~~…。」
海にはそれがなんだか嬉しいような悔しいようなホッとしたような…
沢山の感情が一気にこみ上げてきて
「おいっ、ウミ!」
力の抜けた身体はぎりぎり均衡を保っていた姿勢を思い切り崩させた
それを支えようとクレフは海の背中へ腕を回したが、追いつかず
しかも自分よりも体格も体重もある人間を支えるのはやはり困難で
海はへなへなと椅子から滑り落ち、床にぺたりと座り込んでしまった
つられてクレフも膝をつく
「びっくり、した…」
「…?」
呆然と呟いた海の様子を伺うようにクレフは首を傾げる
「だって…いきなり…あんな…」
海は拗ねたような口調でぶつぶつと何かを言っている
「…。」
少々悪ふざけが過ぎただろうかとクレフは今更思う
しかし
頬を紅潮させて口を尖らせる海を見ていると…
「…なによ?」
藍色の瞳をキッと釣り上げて海はクレフを見上げた
「…いや。別に」
慌てて片手で口元を抑え、視線を逸らす
知らず口元が緩んでしまっていたことを自覚する
…いかんいかん
己の所作一つでこんなにも豊かに感情を返してくれることが嬉しくて愛しくて、可愛くて…
それが表情に出てしまった
「…ごめんなさい」
ふいに小さく謝罪の言葉が紡がれる
「―…何故、私を怒らせようとしたんだ?」
「…。」
海はその疑問に対し僅かに瞳を細め、自嘲するように小さく息を吐いた
「ちょっとだけね、不安だったの」
「…?」
恋人同士になってからというもの喧嘩らしい喧嘩などしたことがない
そう月日が経っているわけではないから当たり前なのかもしれないが
それ故に余計に海の不安がクレフにはわからなかった
「カルディナとラファーガって、しょっちゅう喧嘩してるじゃない?」
「…まぁ、そうかも、な」
実際のところそんなに頻繁にしているとは思えないが
恐らく週に一度だけこの国にやって来る彼女たちがその場面に出くわす頻度は高いのだろう
「でも、そうして喧嘩して仲直りをする度に二人は仲良くなっていってるように見えるの」
「…そうか?」
クレフには幻惑師と剣闘師の関係が諍いの度にその過激度が増すばかりに思えて仕方がない
実際問題二人の仲がその度更に深くなっているかなど気にもとめたことがなかったのだ
なので海の言葉に安易に肯定はできなかった
「もう、クレフったら…。なってるの」
海はそう断言する
ならばそうなのだろう、とクレフも曖昧に頷いた
「“喧嘩するほど仲がいい”って言うでしょう?」
「まぁ、言いたいことを言い合える仲だということだろうがな……―」
そこまで言ってクレフは何かに気付いたように海を見る
彼女は少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らしていた
「つまり…そういう、こと…」
「…。」
先ほどよりも更に白磁の頬に朱がさす
クレフは思わず頭を抱えてしまいそうになっていた
つまり、彼女は“喧嘩するほど仲がいい”という証のようなものが欲しかったのだ
確かに恋人同士になる前は、お互いに言いたいことを言い合っていたように思う
それなのに気持ちを自覚してからは表に出す言葉や表情を無意識に選んでいたのかもしれない
しかし、それは常に相手に対し優しくありたいと思う心であり、決して距離をとろうとしていたわけではない
…あぁ、そうか。それが不安だったんだな
心情の変化は不安定な心の表れだ
友人から気になる人へ
そして恋人へ…
…自分で思っているよりも頭は後からついてくるものらしい
勝手に感じ、揺れ動くのは心で
それを伝えようとするのは頭だ
「頭を使ってばかりなのも考えものということか」
納得したようにクレフは小さく笑みをこぼした
「…。」
勝手に自己完結してしまった恋人に
しかし、恐らく自分が伝えたかったことは伝わったのだろうと海は少しだけ肩の力を抜いた
すると
「っ…」
背中に回された手にそっと力が込められ
海はクレフの腕の中に引き寄せられていた
「クレフ…?」
その突然で、とても優しい行動に海は静かに彼の名を呼ぶ
「頭で考えるより先に心のまま動いてみた」
そっと囁かれた言葉は海の鼓膜を静かにくすぐった
「今、お前を抱きしめたいと思ったから…」
「…。」
幼い少年の腕は包むように海を抱きしめていて
海にはそれがとても心地良く感じた
感触は自分よりも小さな子供の身体なのに、感覚としてはとても大きなものに包まれているようで
温かなクレフの優しさが流れこんでくるようだった
海は思わずその腕に甘えるように擦り寄る
もっと彼の体温を感じたいと思ってしまう
「…。」
しかしすぐにその温かな抱擁は解かれ、クレフは海の頭を撫で、髪を梳く
ほんの少しだけ不満そうな、寂しそうな表情を見せた海
「あまり、そういう顔をされると困るのだがな」
「え…?」
クレフは困ったような笑顔をつくって彼女を床から立ち上がらせる
海は自分が今どんな顔をしているか気付いていないのだろう
きょとりと目を丸くしていた
「ここは広間だ」
「ええ」
「皆がじきに集まってくる」
「そうね…」
「私は構わないのだが」
「…?」
彼女を椅子に座らせ、そのまま蒼い髪をかきあげ、形の良い耳に唇を寄せる
「あまり物欲しそうな顔をするな。何をされても文句は言えんぞ」
「っ!?」
囁く吐息と声音、その内容に海は勢い良く身を引いてしまい、またしても椅子から落ちそうになってしまった
「なっ!…ちょっ…!?」
熱いままの耳をおさえ、顔を真っ赤にした少女は信じられないという目で恋人を見ている
当のクレフはしたり顔でそれを見下ろしている
「かっ…からかったわね~~!!」
真っ赤なままでそう叫んだ海に
「はははっ」
クレフは思わず声をあげて笑っていた
「~~~~~!」
笑われて恥ずかしいやら悔しいやらで海はもう何を言っていいのかわからなくて…
「~~~クレフの…バカーー!!」
悪態をぶつけることしかできなかった
その叫び声は広間の外まで響き渡り
セフィーロの面々は何事かと驚いたが
プレセアとアスコットだけは安心したように笑みをもらしていた
*
「あぁ、そうだ。お前はしばらく私の後ろに立つなよ」
「?」
「またローブを踏まれてはたまらないからな」
「…。」
…これはしばらく根に持たれそうね
終
*****
クマノさんのサイト、「ユメウツツ」17,000hitキリリクで頂きましたv
ぎゃーもう本当に素敵すぎる!!!!
クレフさんはかっこ可愛いし海ちゃんは安定の可愛さ!!
なにこの純粋培養ならぶらぶカップル!!
喧嘩する程仲が良いって、最初の頃のクレ海まんまですよねー。
そして、クレフさんのセフィーロに対する想いとか色々知って好きになった後の海ちゃんのせつない恋・・・。
海ちゃんの仲間思いなとことか、明るさとか優しさとかを知って少しずつ無意識に惹かれて行くクレフさんの恋・・・。
みゃーーーー!!!
なんでこう横道にそれながら萌えるかな私!!(馬鹿ですみませっ・・・
いや、でも可愛い海ちゃんに擦り寄られたら、どこでも理性は飛びますよね!クレフさん!!!(やめろwww
・・・はい、収集つかなくなるのでこの辺で・・・
クマノさん、素敵な小説を本当にありがとうございましたー!!!



